田舎者な嫁、東京で暮らしてみた。

田舎者な嫁による東京暮らしの記録

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ワクチン接種券、到着。

とうとう我が家にも『新型コロナウイスルワクチン接種券』が到着しました。


……とは言え、実際に接種出来るのはもう少し先で区のHPには「7月上旬以降順次開始」とのこと。


私は体外受精をしていて、運が良ければ妊娠となるワケですが基本的には「その時かかっている病院の先生の指示に従う」形を取ろうと考えています。


陰性のままなら今通っているクリニックで相談しますし、陽性で転院してからならその病院で相談って感じですね。


判断に迷うなら身近な専門家に相談するのが無難だろう、という判断です。


届いた封筒の中には

  • 接種券

  • ワクチンの特徴・予防接種を受けつことが出来ない人・予防接種を受けるに当たり注意が必要な人・接種後の注意点・副反応について・予防接種健康被害救済制度について書かれた紙

  • 接種開錠一覧/予診票記入例・新型コロナワクチン接種のお知らせの紙

  • 予診票2枚

が入っていました。


予診票を書くのは1枚でいいよね……?複写式だし、1枚はきっと予備でしょう。書き損じがあると困りますし。


接種会場は選べるようですが、一般のクリニックや診療所はかかりつけ患者さん優先のようなので総合病院で受けるつもりです。
1回目と2回目は同じ病院で予約を取らないといけない様子(最初の予約で2回分取れるのはグッジョブ!)


ワクチン接種自体はいいんですが、筋肉注射というのがね……(思い出される体外受精ホルモン剤自己注射の痛み)


しかも2回か……。覚悟を決めて行くしかないですね。


取り敢えず、『肩を出しやすい服装でお越しください』の一文は、もっと大きくわかりやすく書いた方がいい気がするなあ。
結構重要だと思うんですけどね。


「よく読めばいいじゃん」って言われればまあそうなんだけど……。

【今週のお題】何故読んでしまったのか未だによくわからない

今週のお題「一気読みした漫画」


東京に引っ越してからは読まなくなりましたが、地元(鳥取県)にいた頃はかなりマンガを読んでいました。
(ブ○ク○フで立ち読みしていたのは内緒 笑)


割とジャンルを問わず興味があれば何でも読むタイプなんですが、読んできた中で「何故読んでしまったんだ……」と未だに疑問になっているマンガがひとつだけあります。


それが『哲也―雀聖と呼ばれた男―』です。


読み始めたきっかけもよくわからないんですよね……。


元々マガジンは読んでいたので「哲也」の存在自体は知っていました。が、実の父のギャンブル癖が原因で両親が離婚していることもあってギャンブル大嫌い人間だったので「哲也」も読まずにスルーしていました。
(余談ですが、当時付き合っていた人がパチスロも趣味でそれ絡みで『パチスロひとり旅』を勧めてくれて、かなりひどい言い方で叩き返したことがあります……。一応、付き合い始めた頃にギャンブルが嫌いな理由は話していたんですが……。私自身、未熟者だったこともあり例えマンガでもギャンブルを受け入れるのは無理でした)


ある時、何となく「哲也」の連載分を読んでそのまま最終回まで読み続けちゃったんですよね。


勝手に『連載作品あるある』だと思っているんですが、1話読むと何となく続きが気になっちゃってついつい読み続けてしまいがちでして(笑)
惰性でもないけど、そんな感じに近いです。

もうずいぶん前過ぎてストーリーはあまりよく覚えていませんが、哲也がかっこよかったことだけはよく覚えています(笑)


最終回まで読んだものの、やはりストーリーや人物相関図が気になるので1巻から41巻まで通しで読みました。


ギャンブルの是非は一旦脇におくとして、知恵・創意工夫・駆け引きが絡むストーリーはとても面白かったです(ブログを書くうちにうっすら思い出してきた)
あとはやっぱり哲也がかっこいいですね!割と優しいしモテるけど、ドライと言うかストイックと言うか……そういうところにグッときていました(笑)


とか何とか書いているうちに久しぶりに読みたくなってきちゃった(笑)
買うか借りるかして読みたいけど、巻数がなあ……100巻超えよりはマシだけど、41巻もなかなかですよね。


まあ、いつかの未来にやりたいこととして保留にしましょうか。

よくわからない罪悪感

昨日、夫が様々な食材を買い込んできて冷凍保存をするように頼まれました。


肉に野菜、そして「きのこ」


調べてみるときのこも冷凍保存がきくんですね。冷凍庫は神か……!


とは言え、丸のまま冷凍庫へ放り込むワケにもいかないので調理しやすく食べやすい大きさに切るなりわけるなりしなければいけません。


が。


以前から薄々気づいてたことに今回確信が持てたんですが、私は「きのこに包丁を入れたり小房に分けること」が苦手みたいです。


自分でもかなり意味がわからないんですが、切ったりわけたりしているときのこが泣いているように感じるんですよね……。


最初は夫に指摘されたようにキュッキュッって音が泣き声のように聞こえるのかな?と思っていたんですが、どうやら音ではなく感触の方で「泣いているみない」と感じるようです。


ちなみに『手で小房にわける』のと『包丁で切る』だと、圧倒的に『包丁で切る』方がつらいです。


あ~~~~~ごめんよ痛いよね~~~~~本当にごめんなさい……(きのこに包丁を入れる)……あああああ痛いよねごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
みたいな思考が切る間中ずっとループしています。


ただ、食べる方は全く抵抗なく問題なくて普通にモリモリ食べています(笑)
切っている間の罪悪感どこいった?ってレベル。


何でしょうねこれ……肉・魚・野菜にはこういうのはないんですよね(もちろん命を頂いて食べている認識はあります)


しかも「きのこ大好き!」ってワケでもないんです。出されれば食べるけど率先して選ぶほど好きでもないし、食べる以外の部分で好きってことも特になし。


ただただ、「切る時の罪悪感がめちゃくちゃ強い」んですよね。


実家にいた頃はそもそも料理をしなかったのもあり、この歳になるまで全く気が付きませんでした。


今のところ実害はなく、料理が出来なくなるレベルでもないので取り敢えず放置しておきます(笑)


う~ん……もしかして前世はきのこだったのかな?